11.0804.htm

DIARY

2011/08/04   木  今日も庭の水出しと訃報        曇り時々小雨

 

 7時過ぎに目覚めて、庭を見るとやはりまだ水がたまっている状態。

 それでも曇り空なので量は多くは無いが、何とかしないと(芝切り)の苦労がまったく無になってしまうのではなかろうか!

 朝食後9時から再度水のくみ出しを始めようとすると、道路の水はどうしたことか全く無くなっているではないか!

 しかし、裏の造成地にはまだたくさんの水があるのに・・・

 12時少し過ぎまで、ポンプではなく、高い所から低い所への水の流れを利用して、小さいバケツでも100回以上は飽くなき追求してようやく水の流れが止まる。

 それを昼食ベランダで眺めながら、こんな経験はあまりしたくは無いが、逆にこんな経験が出来るのもここチェンマイ・ムバーンカッタリアーかなと・・・ (笑う)

 さすがに疲れたのか、昼食後ソファーで1時間以上眠りこんでから後片付けをしながら洗濯してパソコンのニュースを見ると下記の記事が・・・

 

 松田直樹選手の死去

 

 34歳。あまりに早く、突然の最期だった。サッカーの2002年W杯日韓大会で、日本代表の主力DFとして活躍。横浜Mでも長く中心選手としてプレーした。サッカーファンの記憶にその勇姿が鮮やかに刻まれたまま、松田選手はこの世を去った。 群馬・前橋育英高から横浜Mへ。1年目から33試合に出場。横浜Mのリーグ優勝3度の全てに貢献した。日本代表としても40試合出場。W杯日韓大会では、トルシエ監督の「フラット3」の一角を担った。日本屈指のDFを支えたのは、長身と身体能力を生かしたプレーのみならず、時に闘志をむき出しにする熱血漢ぶりだった。 昨年11月、横浜Mから戦力外通告。かつて栄光を手にした男が移籍先に選んだのは、J2のさらに下のJFLだった。「松田直樹という存在をプレーでアピールしたい。目標はJ2に上がること」。移籍会見で、持ち前の負けん気を言葉に込めた。 Jリーグの名門から、地域クラブへ。移籍会見の熱い言葉はプレーで実行した。Jリーグ昇格の志を遂げることはできなかったが、自ら挑戦の地に選んだ松本のファンに、大きな存在感を示した。(時事ドットコムより)

 

 熱烈なサッカーファンでもなかったが、当時の姿を思い出してしまう。

 あまりにも若い人生に冥福を祈るばかりだ!!

 

 理恵さんは、リンピンスーパー・タラートで買い物から帰って来て18時半過ぎに夕食 後20時過ぎうとうとして1時間ソファーで・・・

 21時から目覚めてタイの放送『竜馬』を少し見て、日本語のを見たいがかなり長いので耐えられるかどうか?

 1時間・2時間のドキュメントが、見ていて楽しいのだが。

 22時前には明日のゴルフ目指して消灯したいものだ!

 

 
 ようやく水出しが終える    裏の水はなかなか減らない
 
 この泥にまみれた芝はどうなるの?    ホールの中にはまだ水が溜まっている

 

OME

Last updated: 2011/08/04