2012/06/16 土
両替とミラクルタイフードフェステバル・
近藤の気まぐれ測候所 7時28℃ 44% 15時30分34℃ 25% 23時30℃ 34
%
朝
は晴れ間も見えたのだが、曇ったりとめまぐるしく変化しながらも雨は今日も無い
昨日0時過ぎまでユーロサッカーを見ようと起きていたのに、クロアチアーフランス戦は大雨と雷で中止になったようで諦めて消灯したが、何故か7時前に目が覚めて急いでテレビを付けるけれどゴルフ(USオープン)も放送していない!
ニュースで見ると石川遼選手は大幅にスコアーを落として
プラス8 トータルプラス9で予選突破出来なかったのは本当に残念だ。
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少し黄色くなって来たが、まだ硬い |
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3か所なんとか芽が出てきた |
庭で練習して、水撒きしてから11時半に2人して、久しぶりに街へ出るが、要件は2つ。
@なけなしのお金を両替する事、インターネットで見ると1円が0.400178になっていたのでこの辺で手をうって両替したほうが良いのではと・・・
Aエアーポートプラザで行われているフードフェステバルを見ながら食事を・・・
@両替は0.4まで到達していなくて、0.3975 まー欲張ってもしょうがないかなとー
A広い駐車場での催しではなく、ここ1年ほどで出来た室内の建物(催事場)で行われている
生バンドや4つのコーナーに分かれての展示即売ではあったが、落ち着かなく(本当はアルコールは売っていない事が・・)一通り見学して、12時半過ぎどうしようか?
タイの4つの地方を以下のように分けて、その地方伝統の郷土料理やフルーツなどを紹介。北部料理は
"Miracle of North"。南部料理は "Amazing South" 。東北部料理は
"Isan Exotic"。中部料理は "Heart of Central"
。他に、ミニコンサートなどの楽しいイベントも開催。 (新明天庵より)
他に郵便局コーナーもあって、記念切手等販売していました。
前に1・2度言った事がある空港から我が家方向で、チェンマイランドを越した左側のレストラン(クルワ ペット ドーイ ガーン) きれいなダイヤモンドの山のお店とでも訳すのか?
10人程お客さんがいる中、2人の日本人の姿も・・・ 3品とカオニャオ
15時前に帰宅して、またまたDVD鑑賞しながら一休み・・・
<スーチー氏>「自由で平和な世界を」…ノーベル平和賞講演
毎日新聞 6月16日(土)21時28分配信
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オスロでノーベル賞受賞の記念講演を行うアウンサンスーチー氏=2012年6月16日、AP |
【オスロ小倉孝保】ミャンマーの最大野党「国民民主連盟(NLD)」の党首アウンサンスーチー氏は16日午後(日本時間同日夜)、オスロ市内でノーベル平和賞受賞(1991年)の記念講演を行った。スーチー氏は「ノーベル平和賞の受賞が、世界の関心をビルマ(現ミャンマー)の人権や民主主義の闘いに引きつけた」と述べ、受賞がミャンマーの民主化を大きく後押ししたことに感謝した。
スーチー氏は「私たちの最終目標は誰もが自由で平和に暮らせる世界を作り上げることだ。安心して眠りに就き、幸せに目覚めを迎えられる世界を作るために手を携えましょう」と、当たり前の幸せの大切さを強調した。
自らが党首を務めるNLDについて「国民和解の過程でどんな役割を担う準備もできている」と述べ、現政権とともに国造りに協力する意向を改めて表明。一方、「テインセイン大統領が進める改革は、国民生活の向上が伴ってこそ、評価できる」と注文をつけた。
国内で最大の課題とされる少数民族の対立に関し「一つの軽率な行為が、長年保たれた停戦を崩壊させる」と話し、同国西部で激化するイスラム教徒と仏教徒間の対立に懸念を示した。
受賞当時、スーチー氏はヤンゴンで自宅軟禁下にあり、音の悪いラジオで自らの受賞の知らせを聴くしかなかった。記念講演は「捕らわれの身」から一転、自由に政治活動できるようになった環境の変化を示し、民主化を求め続けたスーチー氏の闘いの一つの到達点といえる。
スーチー氏は91年10月、軍の圧政に屈することなく、非暴力で民主化を求める姿勢が評価され受賞した。
同年12月の授賞式には、夫のマイケル・エアリス氏(99年3月死去)と長男のアレクサンダー氏、次男キム氏が代理出席。賞金の130万ドルはミャンマー国民の健康と教育のための基金の設立に使われた。
「建国の父」アウンサン将軍の長女として生まれたスーチー氏は、英国で暮らしていた88年、母の見舞いのためミャンマーに帰国。NLDの書記長に就任して軍政に対抗し、これまでに3度自宅軟禁を科せられた。日本との関係も深く、85年から約1年間、京都大学で研究員を務めた。
スーチー氏はこの日の記念講演後、ノーベル平和賞受賞者について紹介した「ノーベル平和センター」(オスロ)を訪れ、夜はノーベル賞委員会委員の夕食会に出席する。
そして夕食を食べながらまたまたDVDを鑑賞して、22時半まで見て、そのあいだに上記ニュースに思いをはせながら、1991年のノーベル賞 なんと長い年月か!
なにはともあれその舞台に立った(アウンサン・スーチーさん)おめでとうございます!
まだミャンマーの前途は決して明るいものではないだろうけれど、少しだけ開けられた扉は前に向かうことしか出来ないだろうと信じている。
今日はテレビ どうしようか? サッカーかゴルフか!
よくよく見たら1時からの試合一試合だけで諦めて23時45分消灯。
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