DIARY

2006/07/16      日本語教室の授業風景
キャディーのMちゃんと月2回は日曜日付き合うことにする。
日本語を(ワットチュディルアン)で習うことになっているので、順番待ちではなく9時に間に合うようにハーフだけのラウンドにする。
毎週日曜日9時から11時までの時間だが、こちらも毎週とはいかないが出来るだけ協力したい。
昨日の反省をしながらやろうとしたが、右大腿部が異常に痛くて集中できない。
筋肉疲労かもしれないので、月曜日チェンマイランナ病院の医者に見てもらうことにする。
時間どうりに終わりお寺に送ってゆくと、都合よいことにM先生(もちろん日本人で若そう)に出会ったので、授業風景を見てもいいか尋ねると快くOKしてくれる。
30〜40人くらいで全体的に若い層が多い。
教えることの難しさみたいな物を感じながら、貴重な体験をさせてもらった。
自分が今何が出来るのか! そんなことを想像しながら参観できた。
Mちゃんと一緒に途中のクイッテオでお昼を食べ、送ってゆく。
足の痛みは取れないどころか、いっそうひどくなるようだ。
薬を塗りながら自分でマッサージし昼寝をするが、寝返りも痛い。
夕方になってMちゃんからやま(山岳民族)に行かないかと誘われる。
前に1度クリスマスに行った事はあるが・・・
夕食にしたくをした後なので、それを袋につめて妹・姉の子供と4人でドイサケットを目指す。
Mちゃんもそこの出身であることは聞いていたが、目の当たりにするとタイの山岳民族の置かれている立場が善意でなりたっているように思われる。
クリスチャンで若くして扶養できない状態の子供がここは集まっているそうだ。
14・15・15歳ほどの若い女性と子供が楽しそうに遊んでいる。
我らが着いた時、ファランの団体さんがマイクロバスでこの施設を訪問していた。
今年のクリスマスも来年の新年を祝う会も多分ここに来るのではないだろうか。
姉の家に行って夕食。 案の定私の料理は誰も手を出さない。
当然のことかも知れないがちょっと残念であった。
竹で編んだ家で冗談交じりで1軒1000バーツだと言っていた。
食事を済ませて再び来た道をチェンマイへ8時前に向かう。
30〜40分ほどの時間だがまるで別世界のように車も少なく、寄せ合って暮らしてる様が感じた。
チェンマイに戻ると雨が降ったようで、路面がぬれていて今日は涼しく寝れそう。
明日朝申し訳ないので出かけて話しをしよう。
それどころか痛みで眠れなく困ってしまった。
 
前のページ 目次 次のページ
HOME

Last updated: 2009/10/27